すなぶろ

Pythonistaを目指しているつもりが、Hyのおかげで無事脱線。Clojurian目指すことになりました。

Twitter の片隅で Clojure 愛を叫ぶ→ヘッドハンティングされた

――これは、地球と Land of Lisp を繋ぐ、新たな架け橋の物語

――絶望から這い上がろうとあがく男の目の前に垂らされた一本の蜘蛛の糸

――天にいるのは釈迦か、エイリアンか

――括弧に魅せられた者達の『奇妙な接触』を描くノンフィクションドキュメンタリー

もくじ

まず入院したところから

Twitter ではさんざん言ってたんですが、前回の記事でさらっと触れた通り入院してました。 痛みそのものも辛かったんですが、そのせいで眠れなくなるというのは地獄以外の何物でもないです。 額に水滴を垂らして眠らせない拷問があると聞きましたが、思いついた人は虫歯か腰痛持ちだと思います。

全身麻酔って初めてだったんですけど、気付いたらベッドで『ピッ……ピッ……』という医療器具の 電子音を聞いてて、まるでドラマのようでした。意識を失う直前は「眠くなる」というより「極寒で震えていた はずなのにおかしい何だか気持ちよくなってきた」に近かったです。凍死しそうになったことありませんけど。

幸い手術が効果抜群で決まったらしく、現在はあのときの痛みが嘘のように引いて最高にハイです。 ただ脚の筋肉がなくなったんじゃないかと思うほど弱くなっていて、階段を登り切るときには 産まれたての子鹿のようにプルプルしてしまいます。産まれたての子鹿、見たことないですけど。

えーそれで、そう、要するに入院中ずっと暇だったんですよ。充電ケーブルを家に忘れてきたせいで スマホがかまぼこ板になるし、そのせいで誰にも連絡できないし、看護師さんに相談しても 「あらぁそれは困ったわねぇ」としか言われないし、自分はというとそもそも歩けないわけで。

  • 私「充電ケーブルがなくて困ってるんですよ」
  • 医「一階のコンビニに売ってません?」
  • 私「それがないんですよ。どこを探しても」
  • 医「えっ……こんな、大きな病院なのに? この、2019 年という時代に、ですか……?」
  • 私「ないんですよ」
  • 医「 そんな病院あるんですか
  • 私「」

結局そのまま外出許可を出してもらって、気合いで激痛を我慢しながらタクシーに乗って家まで戻り、 這うようにして諸々の必需品をかき集めて、また病院までお願いしまして。もうその時点でお金が ほぼ尽きていたので、わりと人生詰んだなーとは思ってました。

諸君、私はプログラミングが好きだ

人って不思議なもので、何もない状況に置かれないと『本当に好きなこと』がわからなかったりするようで。

私はずっと自分自身何が好きなのかわかりませんでした。ピアノも弾きますし、 将棋に夢中になった時期があったかと思えば、ゲームを毎日やっていたり……。プログラミングは そのうちのひとつであって、きっと一生趣味のひとつで終わるんじゃないかと思ってました。

それがまさかボールペンとノートを買って、そこに Clojure の式を書き殴りながら 4Clojureの問題を解きにかかるなんて、いま考えると完全に常軌を逸してますね。 当然コンパイルしたくなるわけですよ。安い中古ノート買うじゃん? Programming Clojureも買うじゃん?

お金ないのにそういうことしてるってことは、ぶっちゃけ いろんな覚悟決めてた んですよ。

お金ないっていうか、何なら預金残高マイナスなんですよ。覚悟決めるならそっちじゃなくて、 仕事を選ばず死にもの狂いでなんとかプラスにしようとするとか、そういうのがたぶん 『普通』なんですけど。常軌を逸してたんですよ、そのときは。ひょっとしたら今もですけど。

だから同室のおじいちゃんと話すときは心が痛みました。ちょっと話が長いのが玉にキズだけど、 博識で、思いやりがあり、常に学ぶことを忘れず、自分に厳しく、他人に優しい。 そんな、いつも本を読んでいるおじいちゃんでした。

「こんにちは。どうも、隣にお邪魔している者です。びっくりしちゃったよ。いや、なに、 ここは古い衆ばっかりだからどうもね。でもあんた、大変だねぇ、若いのに入院なんて。 なんで入院した? ……そうかい、腰がねぇ。椎間板ヘルニアかい? いやぁ、痛いでしょうそれは」

「わしは尿路結石でさ、もう手術してコロンと石が取れちゃったんだ。今の医療技術はすごいよ。 あんたも手術かね? ……大丈夫だよ。老いぼれのわしだって何とかしてくれたんだから。 若いあんたなら絶対に大丈夫だ。ただ、何と言ってもね、人間、大切なのは決断だよ」

「サインする書類にいっぱい書いてあるだろう。こんなリスクがありますとか、そういうのさ。 難しいんだよな、決断するっていうのは。Aを選択した場合どうなるか。Bを選択した場合は? あるいは選択しなかった場合は、なんて考えてると、時間がどんどん過ぎていく」

「結果だけ見れば、何も選択しないことが一番良かったりするんだから、難しいよなぁ。 例えばわしなんかは、手術後の検査で怪しい影があるっていうから再検査したんだけども。 ステージ2の癌だって言うんだよ。癌には勝てんな。平均寿命が伸びてもどうにもならん」

「だから、ステージ3だったら、もう何もしないつもりだったんだよ。自分が癌だって、 ショックじゃないんだ。癌っていうのはそういうものだから。ステージ3なら、 もう充分生きたことだし、これはもう天命だと思ってなすがままだったんだが……」

「このくらいまで生きると、決断することと同じくらい大切なことができる。何をどう決断したかを、 後世に残すことだ。わしだって死にたいわけじゃないよ。やりたいこともたくさんある。 ただ、ステージ2の癌を、どこまで、どうやって治療すべきか。これが難しいんだ」

「ところでそれ、パソコンかい? 病室に? へへ、そりゃいいや! 好きなのかい? ほぉ! ビル・ゲイツは凶暴な番犬を何匹も飼って、大きな家に住んでるんだってなぁ。あれだって Intel の基盤ひとつからあそこまでなって、なぁ? それもまた、ひとつの決断だよなぁ」

「大丈夫だよ。ヘルニアは痛いけども、手術すれば大体は治っちゃうんだから。癌と違ってな。 あんた、パソコン、がんばりな? 好きなものなら、誰にも届かんところまで行けるんだ。 まだ若いんだから。な? 手術はきっと成功する。そしたら、パソコンで天下とっちゃいな」

諸君、私はプログラミングが大好きだ

人生でそういう『決断』の時期は何度かあって、そのたびに乗り越えるというか、別に乗り越えなくても 時間は勝手に進むわけですから、周りが変わっていっただけであって、私自身は十代の頃から 何も変わらないんだなと今回の件で改めて思い知らされました。

というのも、勢いだけで実践 CommonLispの翻訳プロジェクトに飛び込んだのといろいろ 被るんですよね。「えっ? 本を翻訳したのになんでそんなに技術力ないの?」と思った そこの君。逆に考えるんだ。「技術力がなくても本を翻訳してもいい」……そう考えるんだ。

で、当時もお金ないのにプログラミングの勉強してて、そうすると本が買えないわけですよ。 実践 CommonLisp の原著は当時からネットで読めたので、「そうだ!翻訳しながら勉強すれば ワンチャンお金もらえて一石二鳥じゃん!」と短絡的な結論に至った私を誰も責められはしまい。 弱冠 18 歳の冬でした。

なんやかんやあってその後2つの会社でパワハラモラハラをそれぞれ経験して精神的に病み、 あとは転がり落ちるように腰まで手術することになって所持金マイナス。これらに関しては 今でも「未来予知でもできなきゃ決断も何もない」と思ってしまいますが、今後の課題としましょう。

――ごめんよ中学生の私。ハッカーになるという夢は叶えられそうもないから、せめて一生懸命 勉強して、同じ夢を抱く子どもたちを導く側に周って余生を過ごそうと思う。エンジニアに 『有給なし』という求人しか出さないこのド田舎に生まれた私が悪かった。許しておくれ……。

よろしい、ならばプログラミングだ

そんなふうになかば諦め、なかば悟りながら「今日はこんなこと勉強したよ!Clojure って たのしいね!」などと、まるでおもちゃ屋ではしゃぐ少年少女のようにピュアな心で ツイートしてたわけなんですよ。私もう少年じゃないですけど。退行というやつですか。

そしたら何やらすごそうな Clojurian に「いいね」されたりリツイートされたりして、 まぁ、気分がよいわけですよ。承認欲求って言うんですか。そうするともっと勉強して もっと「いいね」されるツイートがしたくなる。よきスパイラルが生まれたのです。

もちろんそれは Twitter 上でだけの話……だったはずなんですけど、 「いいね」する Clojurian の中に、毛色の違う人が混じっていたわけなんですね。 お待たせしました。ここでようやくタイトル回収になります。

  1. おもむろにダイレクトメッセージが送られてくる
  2. あっこの人よくいいねしてる Clojurian だ
  3. この人も勉強中なのかー。遠隔読書会しようってことかな
  4. あれ、お話したいって書いてある。Clojure かわいいよハァハァ的なこと…?
  5. 幸甚とかむつかしいかんじをつかっている!

このメッセージこそが私にとっての蜘蛛の糸であり、垂らしているのは釈迦ではなく、 株式会社 Catallaxy 代表、大石裕明さんだったのです。

  • 「弊社で Clojure 書きます?」

と言われたとき、もう私の心は決まっていました。翻訳したときと同じですね。 決断するのが難しいと教わって感銘を受けたばかりなのにこんなですから、やっぱり 私はこういう人種なのか、あるいはまだまだ青二才なんでしょう。まったく成長していない。

しかし想像してみてください。「どうなってもいい」と思いながら、それでも Clojure を勉強しているプログラミングジャンキーに「仕事する?」と風穴を空けたら、 溜まりに溜まった情熱は、そこから噴き出すしかないんです。それを抑える術を学ぶのが、 きっと私の今後の課題でしょう。抑えるのが良いか悪いかは、また難しいことですけど。

さぁ諸君。天下を取るぞ

重要なことですが、私はついこの間まで Clojure 初心者であって、今でも自分を 中級者だとは思いません。フレームワークに手を出すのはまだずっと先のことだと 思っていましたから、Luminus も Duct も触ったことがなかったんです。

「即戦力になりそうな Clojurian はいっぱいいそうですけど、どうして私に?」

「一言で言っちゃうと人格ですかね。もちろんお話したのは初めてなので、そんなに 大層な意味はないんですけど…… sandmark さんはポジティブじゃないですか。 なんていうかな、世界に対して。Clojure に対する熱意もそうなんですが、 それに加えて、入院という大変な状況に置かれながら、愚痴を言わなかった」

「あぁ、病院食おいしいとかばっかりでしたね」

「はい。そういうところを重視しました。 ……あ、いま気付いたんですけど、実践 CommonLisp を翻訳された方だったんですね

「( そこで判断したんじゃないんかい )」

もし入院しなかったら、この出会いはなかったことでしょう。あるいはもし過去に 肉体労働で腰をやらかしていなかったら? もしお金を持っていたら? それぞれみんなひっくるめて、今までの自分、よくがんばった。

私はこれから、いろんな恩義を返さなくてはなりません。

同室だったおじいちゃん。血のつながりもないし、連絡先も知らないから、 もう会えるかどうかわからないけど。あなたのために天下を取ります。 まだ生きて、私のような人を救ってください。

日本 Clojure コミュニティ。大石さんと私を巡り合わせた架け橋であるとともに、 入院中、プログラミングを通じて私の心の拠り所となってくれました。 そしてこれからもそうであり続けることでしょう。

友人Aさん。中古ノートパソコン届けてくれてありがとう。結局お見舞いに来てくれたのは 君だけだったけど、その一回のお見舞いが私の人生を大きく変えたよ。 「年収4桁いったら焼き肉おごって」とか言ってたな。お前もうちょっと欲を持て。

最後に、友人Mさん。私が貧窮して食べるものにも困ったとき、あなたが 命をつないでくれました。私が自分でも気付かないうちに追い詰められたとき、 他の誰よりも側で心配して、なんとかしようと奔走してくれました。 私がプログラミングへの熱意を語るとき、いつも目を輝かせて、心底楽しそうに話を聞いてくれました。 今回のことを報告すると、まるで自分のことのように、あるいはそれ以上に喜んでくれました。 「ありがとう」の一言ではとても足りません。がんばって結婚資金ためるね。

それではあらためて、株式会社 Catallaxy 代表大石さんをはじめ社員の皆様。 とんでもないやつに声をかけてしまったよ。決断の覚悟、決めてくださいね。 というわけで。

これからお世話になります。どうぞ末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。